岸添基雄
中来田先生が自宅のみでピアノレッスンされていた当時私は新響楽器伊丹店に勤務しており、楽器や楽譜を注文いただく度に御自宅へお届けがてらレッスン指導を見させて頂く内、
ある現象(事柄)に気付きました。それはレッスンを終えた子供さん達が(4才〜小学生中心) そのまま残って手製の工夫された紙楽器や色音符、文字盤等を使って、ひとしきり楽しんでから
帰って行くことでした。これは子供達が自然に無理なく音楽に親しみ、好きになる様にと願う先生の指導方針だったのです。
昭和45年〜55年頃は空前のピアノブームでした。しかし、その陰で ピアノレッスンの厳しさにイヤイヤレッスンに通う子供達も少なくありませんでした。「子供がピアノをイヤがってレッスンに行かない」という親御さん達の声を聞く度に何とか
しなければと思っていたので、中来田先生の生徒を引きつける指導方法こそ解決の近道だと考え 、当時ホームレッスン(個人宅ピアノをお借りして先生を派遣する事)を多数展開しておりました私達は中来田先生にお手伝い頂けたらと中来田先生にお願いしたところ、末娘さん(一男二女)が誕生されたばかりで出張レッスンは出来ないと断られました。その直後の事だったと思いますが大変な悲報を聞くことになりました。それは先生のご主人の突然亡くなられると云う報でした。
そこからの先生の苦闘は他人(ひと)の想像の及ぶところでは無かったと思います。この大事件があって数年後待望久しかった、我々新響楽器多数の会場でご指導頂き、生徒さん、親御さんから大好評だった事は云うまでもない事でした。あれからもう四半紀が過ぎました。現在先生の御自宅では音楽を心から愛好される30代〜80代(時代の移り代わりをしみじみ感じます。)の生徒さんが半数を占め昼夜問わずピアノを中心に歌声、笑声が絶え間ない状況は中来田先生が目指す理想のレッスンが実現しているものと確信しています。
これからもペースメーカーを付け(装着?)られての奮闘だけに健康にはくれぐれも気をつけられ天性の指導力で音楽愛好家の増加に献身されます様お祈りしております。
福西歩美
”ぶどうの”会でピアノを習い始めて9年になります。
私は幼児教育の大学に進んだものの、子どもの頃から 志していたピアノの指導者の道をあきらめきれずにいました。
大学を卒業し、結婚して娘が一歳になった時、中来田先生の「教えてごらんなさい」の一言に後押しされ、ピアノのを教えはじめて今年で二年になります。
”ぶどうの会”の最大の特徴、それは「音楽を心から楽しむ」 ことだと思います。それを象徴しているのが毎年夏開かれる「ぶどうの会コンサート」です。ピアノだけではなく、
コーラスあり、合奏あり、オペレッタあり、と盛り沢山で、小さな子どもからシルバーエイジの方まで、 みんなが楽しめる内容です。
特にオペレッタは小さい子どもか達が毎年楽しみにしています。2003年2004年と私の生徒達も 「ぶどうの会コンサート」に参加させていただきましたが、約3ヶ月前からオペレッタの練習が始まりました。
台本読み、歌の練習にはじまり、役決め、振り付け、保護者の方々の力作の衣装や背景も加わり、 段々形になっていきます。
オペレッタの練習はこども達も保護者も大変ですがが、それだけにコンサート当日は 大きな拍手が沸き起こります。
みんなで力を合わせて一つのものを作り上げていく、また、年上の子が年下の子を 自然にリードしていく、こういった今の子ども達が経験しにくい事がオペレッタにはギュっと詰まっています。
私の娘は唄が大好きで、2003年のオペレッタ「新おやゆび姫物語」では、何度か練習に連れて行っているうちにすっかり歌を覚えてしまいコンサート当日、突然「オペレッタに出る」と言い出しました。当時1歳9ヵ月でしたので、
親の方がびっくりしていまい、出演させるかどうか迷っていたら、一人の保護者の方が急いで家に帰っておやゆび姫の衣装を作って来て下さり、思い切って参加させることにしました。しっかり歌いきった娘は
「また来年もオペレッタする!」。その言葉通り、今年も「うらしま太郎」に参加させていただきました。 今年は村の子ども役をもらい、親から離れて小学生のお姉ちゃん達に手を引いてもらい、とても楽しかったようです。
今年2人目の子どもが生まれ、いつオペレッタデビューできるか楽しみにしています。
もう一つ”ぶどうの会”の特徴は「チャレンジできること」です。みんな、弾きたい曲にチャレンジさせて もらえる、これも「楽しさ」の一つの要因です。私も子どもを2人抱えていますが、中来田先生の
「大丈夫よ」の一言で次回ピアラ1級獲得を目指しています。
ピアノを教えられるようになったのも先生のチャレンジ精神のおかげです。私もチャレンジ、そして 音楽を楽しむ心を伝えていける指導者になれるよう、日々勉強していきたいと思います。
桂瑩子
♪あれは4年前♪
65歳を目の前にした時、「これからの人生をどのように暮らそうか?」と考えました。
部屋を見渡せば、時折来る孫のために買い換えた中古のピアノが遊んでいました。そして、インド音楽をやっている娘が「音楽は聴くより自分で表現する方が楽しいよ、ピアノやったら?」
と申しました。今まで、ピアノは難しいものとして敬遠し、触れなかったのですが、この際やってみようと思い立ちました。
さて、どこで教えてもらおうかと、毎日の買い物の行き帰りに看板の出ている家を探しました。仁川の畔にある1軒の家のベルを押してみましたが、お留守のようでした。そんな折、かかりつけの医院で、看護婦さんに発表会の写真を見せている年輩の人を見かけました。「こんなお年でも習っているんだ」と納得し、知らない人なのに話しかけて、先生を紹介して欲しいと頼んだのです。その人は、今84歳の高橋ふぢ子さんでした。
そして中来田先生に紹介され、先生のご指導のもと、4年半が経とうとしています。初めてのレッスンの日、先生から「譜は5線あった方がよいかどうか」と訊ねられました。どうせやるならあった方がよいと思い、ある方をお願いして、「中高年から始めるピアノ」の教則本を頂きました。年を取っているため、時々腱鞘炎に悩まされつつ、今はバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を楽しんでいます。(いや、苦しんでいます・・の方が正しいかも,,,。)
中来田先生に出会えて、楽しく充実した生活を送ることが出来ているのは、4年半前のこの偶然の出会いの故と、皆様に感謝の毎日です。
年寄り組(他の人に怒られるかな)の弟子の1人 − 桂 瑩子
冨家香麻里
長女8歳、長男5歳がそれぞれ4歳、3歳からお世話になっております。
頑張ってもうまく弾けない時や、ピアノの前で眠くなってしまう時には
とびっきりの笑顔で励まし・・
ふて腐れて返事もろくにできないときにはきちんと叱り・・
親子だと感情的になってしまうところをいつもフォローしていただいています。
ピアノだけではなく、反抗期などの子供の相談まで親子共々教わることばかりです!
また、教則本も中来田先生に「バスティーンは楽しい本よ」と薦めていただき、
ずっと使っています。
まず驚いたのは、ほとんどの曲に歌がついていること。
弾けるようになったら、曲に合わせて歌うととても子供は喜ぶのです。
そして、メロディーを左と右手で交互に弾く曲が(特に初めは)多いので、
自然と指が滑らかに動く様になっていったと思います。
少し進んでくると、いろいろな調や、和音の展開など、親の私も「ほ〜」と思うことが
さらっとでてくるのです。
今まで自己流だったので、ずいぶん勉強になりました。
毎年7月の発表会には個人の演奏だけではなく、オペレッタ、合奏などみんなで楽しむ
機会も多いです。普段は触れないような楽器も演奏できたりして・・
いったいどこから?と思うほどたくさんの楽器が先生のお宅には出番待ちをしているのです!
そのほかに、お正月会、春の会とみんなの前で演奏する機会も多いので、
目標を身近において練習を続けています。
今はお姉ちゃんがかなりリードしていますが、もう少し経ったら姉弟で格好よく連弾する姿を
ぜひみたい!その日が楽しみです〜
中来田先生、これからもよろしくお願いします(^^)
丹羽一朗
73才 男 年寄り自覚不全 中学時代の仲間4人と月一回サンガと称する 喋りクラブを 開催する
5時間超 酒も飲まず 煙草も吸わない不全達が 喋りまくる
中身は「あれ ほれ これ」長い付き合いは 有難いことに それで通じる
疲れた順に居眠りをする 楽しい楽しい時間を過ごす
中来田先生の教え子 山本力生は仲間の一人
クラブの捌き人は 山本の奥様である
その奥様が2000年春のクラブで 旦那のピアノ発表会のことを大発表したのだ
山本は青くなった これだけは と 隠していたことをスッパ抜かれたのだから
悪ガキどもが大挙して会場に押し寄せられたら 思うだけでゾッとした
事実 仲間たちは それぞれの連れに声をかけ 大挙して甲東ホールへ押しかけ
出演者にプレッシャーをかけまくり しかして山本は惨憺たる演奏を披露したのであった
その日 平成12年7月25日 私の目を奪ったのは年配で良く動き回る御婦人の姿であった
演奏者が暗譜で詰まれば 楽譜を持って駆け寄る 客席で子供が走れば ステージの端でにらみを利かす 幼児低学年の合奏に駆けずり回り ミュージカルの指揮をこなす
私は演奏者にではなくそのおばさんに拍手をしていた
孫たちの音楽教室の発表会に何度か行ったことがあるがこんなに働く人は初めてだった すごいスタミナだ 終了後山本夫人から先生だと紹介された 以後毎回先生を見に行く 山本はちっとも上達しない むしろ驚くべきことに すこしも下手になっていないのだ
あの不全老人を おだててなだめて毎週通わせ おうちでも練習させる先生の手腕に満腔の敬意を表します
河田明子
ピアノ演奏は自分自身との対話−そう教えてくださったのが中来田先生です。
私はピアノを通して実に様々なことを悟りました。
例えば全てのことはどこかでつながっていて、何一つ無駄なものはない。それを生かすか生かさないかは自分次第だということ。あるいは、ピアノの演奏というのは単なる指の運動ではないこと。それは、地球の中心から地面、足を通して伝わってくるエネルギー、全身全霊をこめて表現するもの。一つの曲は聞き手と一体になって生み出される心のハーモニー。
こういったことは、技術だけを身につけることを目的としたピアノ教室では絶対に得られることのない貴重なものです。私自身が生徒としてこのように感じられたのは、先生と対話ができたから、またそれ以上に、先生ご自身に魅力が溢れているからだと思います。
単なるピアノ教室というレベルでないところ、それが私達の教室の最も特徴的なところです。ピアノ以外にも、歌を歌ったり、オペレッタをしたり・・・ 何より生徒さん同士仲がいいです。年代の差はあるものの、それを感じさせないのが不思議なところです。また、家族のように温かい。生徒さんの一人が結婚をなさったときのことです。その生徒さん個人としては式も披露宴も挙げないとのことでしたが、先生はじめ、他の生徒さんも一丸となって手作りの結婚式をみごとに企画、実行!どこかのホテルなんかでするよりもずっとハートフルで心のこもった式になりました。参堂したのはもちろん生徒の方々。みなさん感動していました。
また、先生とお話する中で、「14歳の哲学」という本の話題が出ました。数ある先生のオススメ本の一冊ですが、読み返すたびに新しい発見ができるということで私も一冊購入しました。読んでみてなるほど。14歳の人にはもちろん、あらゆる年代の人に読んで頂きたい本であることがわかりました。今でも時々読み返しますが、やはりそのたびに考え直す部分が多く、大切にしています。
人の魅力ってすごいと思います。私が今までピアノを続けられたのは、先生に人間的魅力が溢れているからだと思います。私は4歳のときから中来田先生に習い続けていますが、小さいときは辞めたくてしかたありませんでした。先生がおっしゃるには、「この曲もう一度練習ね」というと、それだけで私はべそをかいていたそうです。その時は、いやいやながら泣いても笑っても母に練習しろとしごかれつつ(?)通っていました。また、先生にひそかに反抗した時期もありました。大学生の頃には大舞台で大失敗をして、いいかげん傷ついているのに、その傷をえぐるようなことを教室とは全く関係のない外部の人に言われ、その場では笑っていたもののもう続けられないと思い、さすがに辞めようと思いました。それまで私が辞めたいというたびに、「もうちょっと続けたら?」と言い続けていた親も初めて「辞めたいなら辞めれば」と半ば放任的に言いました。けれど、なぜかその失敗と親の一言が、逆にピアノから学ぶきっかけとなりました。そして、自分が困っているときに先生とお話しすることによって、ピアノを弾くことは単なる作業ではなくて、自分との対話だということを知りました。社会人になって半年、慣れない環境で大変な部分も多々あります。嬉しいことにはもちろん、落ちこむときだってあります。しかし、レッスンに行くとなぜか元気になります。それは、先生からたくさん元気をいただくからです。魅力的な人だからこそ、みんなが集まってくるのだと思います。
働き出すとなかなか練習の時間が取れなくなります。私もそのことに甘んじて練習をさぼり気味でした。けれど、そんな中でも中来田先生は私にピアラを受験するように薦めてくださいました。一つ明確な目標を持つことは、ピアノを弾く上でとても役に立つことだと思います。試験本番まで残り1ヶ月という短期間でしたが、先生に助けていただきながらみごと3級を取得することが出来ました。合格の通知を先生から直接電話で伺ったときには、天にも昇る思いでした。これからまた、次のステップに
進んで行けるように練習を続けていきたいと思います。
心で感じるものを表現する−それがピアノの醍醐味だと思います。それを教えてくださった中来田先生に心より感謝いたしております。
森直子
「ぶどうの会」発表会を浅田香織さんに誘っていただき、見に行ったことがきっかけで20年ぶりにピアノを弾きたいと思い中来田先生にお世話になることになり早や5年。1年遅れで娘も一緒に習っています。
20年来あこがれていた好きな曲を弾くことが出来、またコーラスの伴奏もさせていただいて充実したピアノライフ(自己満足です)を送る母と、「ピアノ大好き!練習きらい!楽譜は見ない!テキストを持っていくのは先生が見るから!」と言ってのける娘を根気よくご指導いただきながら、楽しくレッスンを続けさせていただいております。
昨年の発表会前には「娘があまりにも練習しない」という母の直訴に先生から「今日練習した?」コールを頂くことになり母は恐縮、娘は電話におびえ??ながらなんとか、無事、本番を迎えることができました。
また急にスランプに陥ってどうにもならなくなったときも先生の「一言アドバイス」で弾けてしまったり、到底出来ないと思っていたことが不思議に出来たり数々の「中来田マジック」(我が家ではそう呼んでいます)に支えられなんとか続いています。
これからも我が家の真夏の一大イベント、「ぶどうの会」発表会を目標に母と娘でがんばりたいと思います。
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